勝手に着ろ

 書きながら考えているのは、奥にあるはずのコートについて。

 禁酒を続けているのに減らない体重が不思議だった夏、私は毎日のように甘菓子を食べ、甘い飲み物を飲んでいた。アメリカ人は中年でも炭酸飲料を飲むしな、と決まって映画「リトル・ミス・サンシャイン」の一場面を思い浮かべ、酒欲を封じるためにコーラを買い、その場で一気に飲み干すと体が重かった。

 それで、試しに緩い感じの砂糖断ちにトライしてみた。辛かった。痩せたが異常に辛かった。今もチョコレートが食いたくて仕方がない!なぜか?磯崎憲一郎『赤の他人の瓜二つ』(講談社文庫)を読んだから。面白かった。安藤礼二の解説も熱くて良かった。

 オーセンティック・スカのドラマーが二十歳の頃に作ったというスーツをウン十年後の今まさに着ているのを見た(パツパツだったが)。翌朝、体重制限によって諦めかけていた細身のパンツを全力で探していると、ひらめいた。

 エリオット・スミスを聴いていた。「Say Yes」って、チャゲアスと一緒だなー、と昔、物凄く気になった。しかし、ジャック・ブラックの言うように*1、彼は天才、胸が締め付けられる。今は、織田裕二のことを考えている。モッズ・パーカ。いくらスカパラとはいえ、あいつ何なんだろうな、と思わずにはいられない。

 去年の話。

その街は今

 「植木の街」を謳う看板が外されて、その場所は更地となった。分厚い葉が年中黒かった。部屋の隅で軽金属やアダプターが見つかれば、持って行った。挟んでいた脇を緩めると、草に吸い込まれた。着地の音は聞こえなかった。不法投棄撲滅の札が立った。落とし物の自粛が始まった。

 小学校の真横に家が建った。昔は畑だった。直売の芥子菜を食べたらブロッコリーの味がして、得した気分になったものだ。体育館は投票所に使われた。誰に入れればいいんだよ、という選挙があって、スケートパークの修繕を訴えていた人が当選した。

 街道の延伸工事が再開された。きれいに舗装後、金網で放置されていた。その網が一部消えている。傾斜と凸部が絶妙に残されていて、ちょっとだけ試してみたかった。問題は民家がすぐ傍にあることだった。古くて奥行きのある平屋に停まっているのは軽トラだけで、危険的な高級車は見当たらない。

 暗くなるのを待って、実行した結果、早々に老爺が現れた。キウイフルーツを抱えている。売れ残りを下げてきたという。即座に申し出て、聞かれる前にその場を去った。家に帰ると珍しく興味を持たれたが、何を言っても変わらない気がして、しょーもない嘘をついた。

 夜中に思い出して、食ったら、うまかった。また買いに行こうと思っていたのに、地面は剝がされてしまった。

ナスオと読みたい『あたしンち』

 今年は、けらえいこあたしンち』(メディアファクトリー)が楽しみだった(「父の生きがい」7巻21話)。ある日のこと、「落としたペンを拾ってもらう」(6巻19話)みたいな僥倖で読み始めたのだが、気が付けば「寿司ネタ図鑑」(2巻22話)のように夢中になっていた。やがて、忘れかけていた思い出が「借りた柔道着」(14巻12話)に酷似した状況で次々と襲い掛かってくる。しばらくして、ついに「戸山さんの夢」(18巻2話)に匹敵する最低な悪夢を見てしまい、いよいよ身の危険を感じた私は、少しの間作品とは距離を置こうかどうか大変迷ったのですが、「試験前の逃避的眉抜き衝動」(16巻27話)の如く、もう自分ではどうすることもできませんでした。ちなみに10巻からスタートしたので、後は見かけたら順を問わず購入していった、ブックオフで、絶版らしいので。なので全巻を揃えるまでに、それなりの時間と手間がかかったけれど、探している間も何かにつけて読み返したりして、おそらく「角田光代の母親」(『あたしンち公式ファンブック』メディアファクトリー p.135)と同じように自分も色々と救われていたのだろう。ありがとうございました。

 ところで、作者・けらえいこが「創作のつっこんだ話」として、「自分の無意識を意識する」と発言していて(『あたしンち公式ファンブック』p.164)、そういえば作中に「鏡像段階」(16巻29話)の話が出てきたし、夢ネタや錯誤行為、便秘と下痢の肛門付近に関係する話題も少なくはなかったような気がする。

 もしかして『あたしンち』をより深く学ぶには、フロイトラカン等の精神分析理論が必要なのだろうか。しかし、自分はそういった訓練を一切受ていない(「けつま塚・ラテン語分からない」17巻27話)。仕方がないので、以下、マダム・デジュネの会の倫理観(「アチアチ・ズルズル・バイバイ事件」15巻5話)に従い、「本棚にネジやカップラーメンを発見する」(16巻15話)視点と「ナスオの曲解」(17巻9話)方法を採用し、「トリュフの風味を味噌や納豆に喩える」(2巻2話)ような日記を書いてみようと思った。

 例えば、ある夜、みかんは母を突き倒し「死んだかも」と思う程の夢を見る(6巻18話)。続く19話、みかんは岩木くんに恋をする。その後、しみちゃんに秘めた思いを知られると(13巻18話)、

1.みかんは高く飛び上がり 

2.次コマ、犬から身を隠す。

 思い出して欲しい(8巻2話、11巻8話)、

1.母はいざとなれば3m飛べる

2.犬が苦手である。

 また、若き日の父と母は「犬」に吠えられることで結束を固くするのだった(9巻特別編)。

 例えば、みかんと父の会話には母の通訳が必要である(7巻1話)。片思い自覚後のみかんと岩木くんの会話もあまり成立していない(6巻20話)。父は鏡像段階を生きていて(16巻29話)、あるいは、甘やかされる存在である(4巻3話)。それに対して、岩木くんは・・・岩木くんは現実界、ということでお願いします。ゆえに、みかんは岩木くんを正視できないし(6巻19話)、傍にいるだけで目が回ってしまう(10巻6話)。

 もっとも、父と母の意思疎通も迂回や中断が多い(10巻12話他)。また、鏡といえば、みかんは姿見に映る「パフェ―・ユミ」に歓喜して一晩中ものまねに励み、翌日罰を受ける(4巻12話)。そして、赤ん坊の真似をして絆を確かめ合うのは、親友しみちゃんなのだった(6巻25話)。さらに、みかんは「一晩中寝ずにおしゃべりしてくれる相手」を「男に求める図」としており(5巻23話)、これは究極の「添い寝フレンド」*1が欲しい、という事だろうか。とはいえ、岩木くんの親友である吉岡の地位を狙っている(15巻14話)というのは、母に似て一言多い性格の吉岡(9巻20話)を亡き者にして岩木くんと結ばれる、的な可能性を残していると読めなくもないだろう。

 しかしながら、母がみかんのメール(岩木くんに言及している)を盗み見て「桜が新緑に変わった」と嘯くのは(14巻23話)、まるでみかん(桜が散った新緑の季節に友人に裏切られたことがある:9巻21話)の将来を予測しているようでもある。前述の父と母の結びつきを強めた「犬」にしても、母は得意の「犬かき」をみかんに伝えることはできなかった(18巻27話)。

 ちょっと反則な対置だが、『あたしンち』2巻25話と、同作者による『7年目のセキララ結婚生活』7話「似てない夫婦」(p.58)は、共に「ヘンなやつ・・・」の心の声で終わる(みかんからしみちゃん、妻から夫へ)。親密性の発露と思われる「ヘンなやつ」の文言が異なる次元において配置された理由を、例えば「ヘンなやつ」を “Weird” とは別の英単語を思い浮かべながら考えてみたい。

 例えば、いつかのクリスマス(15巻8話)。みかんと岩木くんはケーキを求めて街を彷徨う。やっとのことで購ったケーキはブッシュ・ド・ノエル。ところが、みかんはひたすらハッシュ・ド・ノエルと言い間違い続けるのだった。これらを「花見の席で秋の味覚を語る」(13巻2話)よう解釈すると、以下のようになる。

・ブッシュ=丸太ん棒=男根

・ハッシュ= Hush =静まれ~

 すなわち、「男の裸は汚い」(10巻27話)と漏らしていた岩木くんが、「普通のデコ(レーションケーキ)の方がいい」(15巻8話)と断言していた彼が、実はペニスを羨望などしていないみかんに導かれ、ハッシュな丸太のケーキを受け入れる。

 以降、二人の共演は増加するのだが(同時に、父のみかんへの接近も描かれるが、交流は母の妨害やすれ違いが強調される:16巻20話、18巻25話)、岩木くんのみかんへ印象は「しっぽのカーブがイイ」感じの猫と同じ領域に留め置かれ(14巻16話)、指向がはっきりと示されることはない。なんか・・・違うかも。でも『あたしンち SUPER 』(朝日新聞出版)の第1巻には岩木くんが登場しないんだよなー(連載は未確認です、すみません)。

 ところで、父と母には名前がない。これはもしかして「集合的無意識」とか「元型」みたいな感じで読めよ、ということか。「老賢者」も出てくるし(3巻16話、21巻31話)。いや、もしかすると「名前のない問題」(ベティ・フリーダンです、すみません)かもしれない。

 例えば、名前のない父は、外では腰が軽いのに家の中では動かない(11巻1話)。主な伝達ツールは「ん」と「ンチッ」である(5巻12話、11巻13話)。名もなき母の権威は、プリンによって支えられ、小言にはジェンダー・バイアスが含まれる(6巻1話、8巻29話、12巻2話)。ユズヒコと名付けられた中学2年生は、エアコン設置優先の根拠を続柄に求めているし(みかんは年功序列)、女は尻をかいてはいけないと思っている(2巻10話、10巻13話)。これらの行為に何を思えばいいのか。

 再度『公式ファンブック』を繙けば、作者・けらえいこは語っている。「自分の歴史に見解をつけるのは自分」である、と(p.164*2)。歴史 ―

 例えば、みかんの母の母は戦争を経験している、という記述がある(7巻15話)。ループ系作品に時代を問うのは如何かと思うけれど、雑に想像して書くと、みかんの母の祖母世代の人達は普通に大日本帝国憲法を経験していて、例えば1911年頃は、新しすぎる、と煙たがられる人がいたかもしれないし、1925年の時点でも選挙権・被選挙権を得ることのできない人もいただろう。

 現在の母(憧れの職業は「母」だった:19巻35話)に、社会革命や資本制&家父長制のデストロイを望む様子は見られない。国家が家族に優先するとは思ってもいないだろうが、性別役割分業について批判的に考えている訳でもなさそうだ(13巻30話)。夫婦別姓に関しては・・・雅号でもOKという立場かもしれない(「今治翠」7巻6話)。子育て支援(「たっくん」17巻33話、19巻33話)に対しても、制度に不満を表すよりは、ご近所で対応、みたいな精神が見られる(みかん0歳時、地域共同体に助けられた:2巻特別編)。それでも、時に家事労働*3の意味や有用性について悩んだり、報われない悲しみに打ちひしがれたりするのだった(15巻19話、17巻1話、20巻31話)。足を広げて座る人(12巻10話)や靴にも苦しめられている(13巻1話、20巻22話)。そして、ドキュメンタリー番組(7巻15話)や白髪の思い出(15巻7話)を通して、歴史にリアリティを感じるのだった。

 例えば、母は母親について「子供の頃は貧しくて 戦争で苦労して 働いて働いて このまま死んじゃったら あんまりだよ」と回想して涙ぐむ(7巻15話)。これは要するに世界平和を希求するということでしょう。じゃあ、平和な世界ってなんだよって、やっぱりそれは「カンジがいーとうれしーな」(10巻3話)の世界でしょう。「陰徳を積む」(11巻11話)でもいいけれど。だから、歴史の流れの中に存在する私ら人間も「あたしンち」のことだけを考えるのではなく「よそンち」の行為にも想像を働かせましょうよ、というか*4。「広い心」(19巻11話)や「がんばっているお豆腐屋さんを応援」(17巻6話)にも通底する姿勢のような。「暴虐ブジン」(8巻8話)や「最悪教師」(7巻8話)の行為を理解できるのか、と問われたら、そこは母の直接行動を見習いたい(「違法駐輪に制裁」2巻17話、「神社で頭突き」16巻25話)。

 つまりは、みかんの言う「友達といてはじめて人間の形になれる」(7巻4話)というのも、関係性の中で自分は生きていますよ、ということで、ということは、吉岡がみかんに放った「アミにかかった豚」(6巻20話)発言もそう捉えるべきなのか?「吉岡っていいとこみてるね~!」(15巻3話)って。

 その吉岡、岩木くんを高校合格に導いた漢(15巻10話)、原色の似合うチャーリー・ブラウン似のギター弾き(18巻6話)は、フィリップ・マーロウニール・ヤングを敬愛するロマンチストで(17巻5話、19巻4話、20巻17話)、宮嶋先生の本棚に心が動いてしまうような知的好奇心の持ち主だ(16巻15話)。ただ、聞かれてもいないのに、人に真理を説いたり(16巻27話他)、漢籍の知識を披露したりする(8巻8話)。暴言やセクシュアル・ハラスメントも少なくはない(6巻20話、13巻10話)。もちろん、みかんとしみちゃんも黙ってはいない(13巻24話、19巻1話)。二人は吉岡を「からかう」ことで連帯を強めるのだ(4巻28話、21巻33話)。

 思い出して欲しい、大日本帝国憲法の元ネタのひとつ、西洋文明の自由平等云々の枠から排除されてしまった人達のことを。要するに、みかんとしみちゃんの友情に引き付けて『あたしンち』を眺めれば、そこにメアリ・ウルストンクラフト&オランプ・ド・グージュあるいはペパーミント・パティ&マーシーによる時空を超えたファイト・バック、もしくは江原由美子リスペクト、逆「からかいの政治学」の現出を見出すことができるのだ。

 ところで、無意識は「夢」や「錯誤行為」だけじゃなく「芸術作品」にもあらわれるでしょう。みかんはテディベア、母は書道だ。いきなりですが、テディベアに雌雄はあるのでしょうか。ベア研のバナーがレインボーなのは偶然なのかな(21巻34話)。睾丸を忘れて生まれた話にご満悦のみかんと眉を顰めるユズヒコの対比(17巻25話)も、ジェンダー、性スペクトラム本質主義構築主義の文脈での読み直しが必要なのだろうか。作品第1話を飾ったミックスベジタブルが最後の最後に再び登場する(21巻 最近のあたしンち)のは何故?そこからサラダボウルを連想してしまうのは、ちょっとイデオロギー的すぎるかもしれない。でも「母の書」は【夢】と【人間】(7巻6話、21巻 p.123)なんだよな~。

 いや、まてよ、みかんは吉岡を媒介にして岩木くんと話せるようになった(21巻33話)。つまり吉岡はみかんと岩木くんを架橋する存在だ。そして、チャーリー・ブラウンといえばスヌーピーだ。スヌーピーは犬である。前述のとおり、犬は人間関係を豊かにする。分かった!『あたしンち』の裏テーマは「犬好きに悪人なし」だ!!!

 「メガネや食事風景を褒められたみかんの妄想」(14巻16話)、みたいなオチにしてしまった。長々と書いてきたが、どの位置でがたがた言っているのか。そもそも、なんで反省しようとしてるんだ。それはマイメン「ナスオ」が原因に違いない。ホモソーシャルを回避しながら(階段飛び:19巻20話)、ランク付け(20巻4話)には興じてしまうナスオ。そんな内なるナスオと共に街へ繰り出せば、持ち前の心の狭さを発揮して「傍若無人」(8巻8話)に振舞ってしまう。そんな自分が『あたしンち』のやさしさ(「慰めにバナナ潰す」9巻21話、「逃げたペンギン」14巻27話)や切実さ*5(「髪切って瞳孔開く」6巻2話、「愕然期限切れドア激突」6巻22話)に触れると、気持ちが和らぐと同時にいろいろ考えてしまうのでした。3.11と3.12建屋の話は当時読んでいたら相当励まされただろうと思う。今でもやばい。5年後にはまた違った感動が待っているような。開き直った感じが出てたらすみません。

 

 以上です。

 

*1:通称「ソフレ」。高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』(晃洋書房)で知った。

*2:歪曲してしまったかもしれないので、以下、そのままを記す。「たとえば、自分の歴史に見解をつけるって自分じゃないですか。自分の高校時代を思い出して「○○君は、私のこと好きだったのかな?」なんて、昔のことを思い出すとするでしょ?そうすると、好きだったような気もするし、逆にウザがられてたような気もしてくるんです。その幅の中のどこにピンを打つか。そうやって妄想の世界で遊ぶんですけど、そういう中で作品が生まれます。」

*3:作者によると、母は専業主婦ではないとのこと https://www.oricon.co.jp/special/58231/

*4:この辺りは、オモコロあたしンち動画と品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)note を参考にしているのかもしれません。他者の合理性の理解について。生活史やエスノグラフィー的な視点で『あたしンち』を読むというか。にもかかわらず、偏った判断をしてしまった。「あたしンち」と「よそンち」は単なる比喩表現で、「独善的」とか「知らない人」ぐらいの意味で使いました。『あたしンち』には他者が描かれていない、とか言っているわけではございません。

*5:あたしンち』のテーマは「切実さ」だそうです。作者曰く「切実の極限にある人を見ると、人は感動するか、笑ってしまうでしょ?そういう切実さ、リアリティみたいなことが大事です」『公式ファンブック』p.167

野に野犬あり

 話し声に振り返ると、器を片しながら会話しているようだった。実家から、と見て新聞記事に視線を戻す。「今年は帰れると思う」なぜか声が沈んで聞こえた。驚いて再び顔を奥に向けると一瞬、目が合った(ような気がした)。真意は伝わった、が、これは後でちゃんと確認しておかないとぎりぎりになって揉めるに違いない。この日は木枯らしが吹いた。満月だった。

 パンを切らしたと聞いて、ここは率先すべきと感じた。駅の西側に派手な看板のパン屋が開店した。何も言わず自分の小遣いでその噂の高級食パンとやらを買ってくるのが私の務め、すっかりその気になってしまった。今どうしても必要な訳じゃないらしいが、たまには褒められそうなことをしてみたい。貰った靴もせっかくの天気だ、下ろしたい。いずれにしても、先に寄るのはレコ屋か本屋だ。

 冬でも花は咲くのだな ー 見ず知らずの人の家の庭の草木を悠長に眺めている場合ではなかった。立ち読み代として買って飲んだ野菜ジュースの殻を捨てようとタイミングを計っているのだった。コンビニのゴミ箱が撤去されて久しい。と、すぐ横を軽ワゴン車が通過する。排気音に紛れて右手につまんでいたモノを離した。

 均一棚を前にして直立・腕組みの状態で、背中に日が当たって気持ち良い。年の瀬が近いのにこんなに暖かいなんて。というより師走と雖も大昔だと11月だから珍しくもないのか?いや待てよ、旧正月が2月なんだから現代に直すと今は…いつだ?早いのか、逆に遅いのか、いや何がだよ…。狼狽したおかげで我に返り、小銭がないと気付いた。百円一冊に万札は無いだろう、コンビニへ向かった。結果、食パンで両替した。

 何となく気分がいいのは真新しい履物のせいだろうか。前と一緒、色も形も同じ品を贈られて、自分でもちょっと恐ろしかったけれど、何かにつけてモデストな要望を出していたので文句はない。まあこれならお邪魔する時も失礼にはならないでしょ、思いつつ、ああそういう事?と、仕組まれた感じを邪推してしまい、さっき捨てた紙パックがそのまま路上に転がっているのを発見、腹いせに思いきり踏みつけてやったらストローから残り汁が噴き出して足元を汚した。

甦れ カート・コバーン

 Seth『IT'S A GOOD LIFE, IF YOU DON'T WEAKEN』を読んだ。物語の中頃で主人公の Seth が “ What a feeble Holden Caulfieldish type fantasy ” と自嘲する場面があって、自分は「あ、ついに来たな」と思った。

 『ライ麦畑でつかまえて』(どころか J・D・サリンジャーの一切)を未だ読んでいないのはコーネリアスが関係していて、「好きそうに思われるけどキツそうなので読んでない」と昔、何かで言っていたように記憶する。新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も、なんだかんだ言い訳をして結局買わなかった。ついにその時が来たのかも、と。

 ただ、村上春樹に関しても複雑な思いがあって、臭すぎるウイスキーや今の自分にどうしても必要とは思えないが手ごろな値段でもあるし話にも出てきたからとりあえず買っとくか的な、その後聴き返す機会の少ないジャズのレコードもあるにはある、くらいにはエッセイを読んではいるのだが、小説は2度挑戦して2度とも途中で負けた。レイモンド・カーヴァーは好きで、『結婚式のメンバー』の文庫化もありがたかったけれど。

 そもそもフリッパーズ・ギターには間に合わず、二人のソロ活動は心に茨を持つグランジオルタナ(以下、音楽ジャンルの意味・内容は「大体な感じ」です)少年にはちと難しすぎた。曲の元ネタとして言及されていたネオアコの類は、静かで遅そうと思い込んでいたのでなかなか手が出せなかった。さすがに『LIFE』や『FANTASMA』の曲は周りから聞こえてきたし、『POINT』や『SENSUOUS』の音楽性にしっくりくる時期もあったけれど、近頃は、やっぱりラモーンズは最高だな、と身も蓋もない事を言っている。時代を通じて速い曲は速いし、確かな歌声は特筆すべきものがある、とか。

 SethはAimee Mann『lost in Space』で知った。いや、むしろSeth画に惹かれてCD購入を決意したのだった。曲、ブックレットの掌編ともに良かった。それで、この記事*1Seth (cartoonist) - Wikipedia でも触れられているように “ Seth attended the Ontario College of Art in Toronto from 1980 to 1983. He became involved with the punk subculture and began wearing outlandish clothing, bleaching his hair, wearing makeup, and frequenting nightclubs. ” とのことなので、ちょっと調べないわけにはいかない。

 スティーヴン・ブラッシュ『アメリカン・ハードコア』(メディア総合研究所 2008年)によると「カナダでハードコアを受け入れた都市は、バンクーバーだけだった」(p.503)そうだが、スカルズ The Skulls (Canadian band) - Wikipediaバンクーバー出身、メンバーは後にD.O.A.とSubhumansを結成する)というバンドが77年末にトロントに移り住み「4ヶ月の滞在期間中に強烈なインパクトを残した彼らは、クラッシュ&バーン・クラブでヴァイルトーンズの度肝を抜いたり、地元ニューウェーヴのスター、ザ・ダイオーズ*2のオシャレなパーティを蹴散らしたりした」(p.504)との記述があり、トロントにも当然ながらパンク・シーン(それがどの辺りの「パンク」だったのかは敢えて問いません)があったことが窺える。

 『IT'S A GOOD LIFE, IF YOU DON'T WEAKEN』の中で Seth はSP盤を嗜み(収集家としての悲哀が一瞬語られる)、突然 AC/DCABBA を持ち出してトレンディなカップルを腐したりする(すぐに反省するのだが)。遠出をすれば見知らぬキッズに「見ろよディック・トレイシーだ」「いやクラーク・ケントだろ」せーので「スーパーマン!」と弄られるような服の趣味だ。パンクの頃はどんな格好をしていたのだろう。幸い同じような疑問を持った方々が居て、過去の写真*3を確認することができた。しかし、残念ながら自分の期待したような(リンク先のコメントに「ドキュメンタリー『Seth's Dominion』には includes a photo with the bleached hair, studded bracelets, etc., dated "Circa 1983.”」とあったので)一目でそれと分かる風貌ではなかった。履歴を語るインタビュー*4においても具体的なバンド名は示されず、代わりに大勢の漫画家たちの名前が挙げられる。曰く、幼少期のスーパーヒーロー(『it's a good life ~』の巻末にはマーベルへの愛憎が綴られている)に始まって、チャールズ・シュルツロバート・クラムやヘルナンデス兄弟作品(ラブ&ロケッツにはパンクを感じた)との出会い、30~40年代の雑誌ニューヨーカーに掲載された Peter Arno - Wikipedia 等の発見、RAW や WEIRDO も大きかった。クリス・ウェア、ジム・ウッドリング、ベン・カッチャー、エイドリアン・トミネ、ダニエル・クロウズ等の存在にオルタナ・コミックの明るい未来が見える(96年11月、97年1月の会話)。「グラフィック・ノベル」という言い方*5はあまり好きではないので『it's a good life ~』の表紙には「PICTURE NOVELLA」と記した、自意識過剰の為せる業。J・D・サリンジャーは当然好きだけど、アリス・マンローこそが自分にとって偉大なり。自伝的漫画を描いた動機はハービー・ピーカーはもちろんだが、リンダ・バリー Lynda Barry - Wikipedia の影響が大きい、等々。 

 ワシントン州オリンピアにあるエバーグリーン大学はサブ・ポップのブルース・パヴィットや K records のカルヴィン・ジョンソン、ビキニ・キルのキャスリーン・ハンナ等を輩出したとしてある意味人類の聖地なのだが、マット・グローニング、チャールズ・バーンズそしてリンダ・バリーの出身校でもある。ブルース・パヴィットはサブ・ポップがまだファンジンだった頃(リンダ・バリー、チャールズ・バーンズによるカバー・アートあり)やロケット誌 The Rocket (newspaper) - Wikipediaマット・グローニングをべた褒めしたり、ハービー・ピーカーアメリカン・スプレンダーを紹介したりしている。その辺りの事情は『Sub Pop USA: The Subterraneanan Pop Music Anthology, 1980-1988』(p.113, 152)に詳しい。エヴェレット・トゥルー(シアトル・グランジ現象の曙を世界に伝えた音楽ジャーナリスト 『ニルヴァーナ:ザ・トゥルー・ストーリー』シンコー・ミュージック 2007年 著者)に言わせると「グランジはピーター・バッグが形を与えない限りグランジとして生まれることは無かったはず」(『ザ・トゥルー・ストーリー』p.276)らしく、確かに『HATE』にはルーザー所謂好事家の主人公がマネージャーを務めるバンド(スラッカー兼趣味人の集まり)がガス・ハッファ―やガール・トラブルと対バンし、タッド・ドイルが本人役で登場するなど、当時のシアトルのリアルなバンド状況が伝わってくるようだ(『BRADLEYS』『BUDDY BUYS A DUMP』含め、勿論それだけの漫画ではない)。ちなみにパンク・ガレージ界隈ではジョー・サッコが Miracle Workers を題材にした作品を発表している。蛇足だが Ben Snakepit や Liz Baillie の作品には地下型パンク・ハードコアの日常が描かれる(と読めないこともないような気がする)。

 そのグランジ前後やハードコア(パンク天国2と3の時代)の裏側では何が起こっていたのか。伊藤英嗣ネクスト・ジェネレーション rock & pop disc guide 1980-1998』(ブルース・インターアクションズ  1998年)を片手に歴史を旅してみた(シンコー・ミュージックの UK NEW WAVEネオアコ本も携えて。何れもかなりスキゾ&パラノなセレクトで畏敬した)。結果、自分の好みはアノラックにあると分かった。53rd&3rd のコンピCDの「AGARR」って何?不思議に思っていると as good as ramones records の略と分かり大変和んだ。53rd&3rdからしてあれだけれども。浜田淳『ライフ・アット・スリッツ』(ブルース・インターアクションズ 2007年)によると「ラヴ・パレード」(フレンチからプログレまで網羅するかなり深海で天空なバレアリック選曲)や「米国音楽ボールルーム」(根がパンクにできているDJ達によるスカからインディーポップいやそれ以上のまさにリゾームな驚異の祭典)にはフリッパーズ・ギターの二人やグリーン・リバーのアレックス・ヴィンセントAlex Vincent (drummer) - Wikipediaが遊びに来ていたという。

 『ネクスト・ジェネレーション rock & pop disc guide 1980-1998』には、全908組のアーティスト・レヴューと共にファンタズマ発表後のコーネリアスのインタビューが収録されている。印象に残った部分を切り取ってみたい。曰く「初めてのパンク体験は中学1年生の時に聴いたクラッシュ。高校時代にコピーしたバンドは以下の通り:ジャム、スペシャルズエコバニ、キュアー、スミス、アズカメ、ペイルファウンテンズ、ジザメリ、マイナースレット、セブンセカンズ、ミスフィッツ、オジーオズボーン、アイアンメイデン、マイケルシェンカー、ハノイロックス、クランプス、メテオス、グアナバッツ、仲の良い友達の好きだった近藤真彦、デヴィッドボウイ等々。最近のお気に入りはアフリカ・バンバータの『DEATH MIX』。スミスについて:モリッシーの世界は分からない、とにかくジョニー・マーのギターがかっこいい。ニルヴァーナの事:当初はヴァセリンズをカヴァーしているなぐらいの認識で、カート・コベイン没後にちゃんと聴いたらかなり良かった」とのこと。

 そのような視点*6カート・コバーン『ジャーナルズ』(ロッキング・オン 2003年)を再読してみた。以下、自分の感想:お気に入りトップ50にクラッシュが入っていた、しかもコンバット・ロック。メタル趣味が無かったことになってない?ニューウェイヴ/ポストパンクが本当に好きなんだね(p.257)。Shop Assistants と Beatnik Termites はうれしい発見だが(後者は Cali Thornhill DeWitt - Wikipedia 経由か)、Army Of Lovers の Crucified 推しはどう解釈したものか(p.229)。DicksとBigboys(p.85)を見落としていた。N.W.A.(p.67)とパブリック・エネミーの2nd(p.257)については特に気にも留めないでいたところ、Kurt Cobain - Montage Of Heck - YouTube *7を聴いて、おや?と思った。これは…思うに、これは「系譜学」だよね。ロック・レジェンドの権力構造ならびにメジャー・レーベルによる統治形態を分析しましたっていう。

 ……何それ?日記なら何を書いても許されるのか?ということで改めて、自由とは何か、束縛からの解放とは一体何なのか、真剣に考えてみたい。結論をいきなり述べると、つまりはカート・コベイン言うところの「Punk Rock to me means freedom.」「Punk is musical freedom. It's saying, doing, playing what you want.」(『ジャーナルズ』p.111, 156)なんだと思う。その心は、ロジャー・コーマン『ワイルド・エンジェル』においてピーター・フォンダが解答を提示している。

www.youtube.com

 この場面はマッドハニーとプライマル・スクリームの曲 *8に使われていて、要はニルヴァーナ(カート1967、クリス65、デイヴ69年生まれ)とコーネリアス(69年生まれ)を語る際、その2バンドの存在を無視することなどはできないわけで、それでとにかく Kurt Cobain - Montage Of Heck - YouTube を繰り返し聴いているといつの間にかその眩いループ感に包まれて微睡んでしまい、それこそ前述の DEATH MIX HD REMASTER!!! - YouTube と勘違いしそうになるし、Violent Onsen Geisha - Que Sera, Sera (Things Go From Bad To Worse) [Full Album] - YouTube のような趣も浮上してくる。また「(後年は)ギャング・オブ・フォーみたいなトゲのないダンス・ミュージックをリリースするだろう」(『ジャーナルズ』p.263)とは即ち、カート・コベインがもしも2021年に音楽をやっていたら、YMOと曲を作ったり、DJとして活躍したり*9する可能性もあったということか!!!

 今はパパス・フリータス*10の1st(トラットリア盤)を聴いて、これは Plan-It-X や Recess records のバンドに通じる軽妙洒脱なパンク精神が感じられる、と落ち着いている。アップルズ・イン・ステレオもたまりません。それはそうと、カートおすすめのUKネオアコ群をいろいろ嗅ぎ回っていたら「なんかこの感じ、知っている気がする」、棚を眺めればロイス(Lois Maffeo - Wikipedia)が目に留まった。なるほど1stはスチュアート・モクスハムのプロデュースだし、元々はコートニー・ラブ(Pat Maleyと組んだバンドの方)だ。カート・コベインの初舞台、GESCOホールの運営者の一人でもあった*11。ん?あれっ!?まさか……慌ててマイケル・アゼラッド『病んだ魂』を捲ったらに「ホールデン・コールフィールドのハンチング帽を被ったカート・コバーン」(p.378)と現れて、絶句。今度こそ本当にサリンジャーを読まなくちゃ、と思った。

 

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*1:

kangaeruhito.jp 柴田元幸オザケンの関係もよく考えたらすごい

*2:

The Viletones - Wikipedia 

The Diodes - Wikipedia

www.ajournalofmusicalthings.com

*3:

www.kleefeldoncomics.com 

https://twitter.com/bkmunn/status/1374689575709335557

*4:

An Interview with Seth - Believer Magazine 

The Seth Interview - The Comics Journal  “This interview was conducted in two sessions in November 1996 and January 1997. ”

上の記事のみを参考に以下、ダメ詐欺師のような文章が最後まで続きます

*5:劇画・駒画論争か。辰巳ヨシヒロがエイドリアン・トミネで松本正彦がセスなら、さいとうたかをは?

*6:ニルヴァーナ、カート自身が元ネタを公言している曲、オマージュ/サンプリング的な曲が結構あると思うんですが、有名なところではThe Melvins - It's Shoved - YouTubeとか

*7:カート・コベインによるサウンド・コラージュ、ブートCDには88年春録音とある

Nirvana - Montage Of Heck (Long) - YouTube ロング・バージョン

Kurt Cobain 1988 Mixtape Montage of Heck: Nirvana Genius' Early Work | Time

*8:

Mudhoney - In 'n' Out of Grace - YouTube

Primal Scream - Loaded (Official Video) - YouTube

*9:「ニューウェイヴという名目でハウスをかけていた」(DJ EMMAの発言『ライフ・アット・スリッツ』特別付録より) カート・コベインのポスト・パンク、ひいては Army Of Lovers 賛美もそのような捉え方が正しいのかも そう考えるとスウィングなチャド・チャニングからグルーヴィーなデイヴ・グロールへ移行したのも頷ける どうかな~

*10:

popdose.com 

“ In Japan we were on a really cool label called Trattoria [an imprint of Polystar]. That was Cornelius’s label. He had some records on Matador in the States at one point. Just a really out-there Japanese artist who was a superstar in Japan at the time, so anything he touched, it meant that 10,000 people were automatically going to buy the record. It was good for us pretty much right away ”

 

*11:マイケル・アゼラッド『病んだ魂 ニルヴァーナ・ヒストリー』(ロッキング・オン  1994年)p.59

エヴェレット・トゥルー『ザ・トゥルー・ストーリー』p.40

教えてバルサザー

 『ODD ZINE Vol.5』を読んだ。惰性で入った店に長居してしまい、謝るようにして購入したものだ。キリの良い値段が決め手となった。青木淳悟の「最近は私小説に興味津々」の一節にECD*1の事を思い出し、考えた。写真も良かった。バックナンバーを確認すると、レスザンのアーティストを発見して、自分は間違ってなかった、安堵した後『ののの』も読もうと決意する。三月下旬の話です。

 山口瞳が「汁物で飲む酒、体に最高」みたいなことを言っていたような気がして*2、まずはホッピーを飲みながら悩んで(油そばが売りの店なので)、タンメンに決めたのだが注文の声が届かなくて、すると斜向かいに座っていたそれこそ『ののの』の「かぜまち」赤石イサオみたいな赤ら顔が「マスター、マスター!」と大声でワンオペ店主を呼び寄せる。流れで会話が始まって、挨拶がてらに生まれを語るとすぐに郷里の横丁の俗称を出してきた。よくご存じで、適当に相槌を打っていたら、帰郷の際はどこそこの店で私の名前を伝えれば云々、と誇らしげにスナック名と自分の氏名を手帳に書いて千切って渡してくる。店主の態度と本人の大胆な言動を見るに、こいつは土地持ちだな、と直感し少し鎌をかけてみた。帰りにポストでもぶち壊してやろうと思って。ところが最後の最後で話をはぐらかすのが上手い爺だった。ぐいぐい近づいてくる割に、ワクチンを打ったかどうかすら答えようとしない。

 『メタモルフォーゼの縁側』最終巻の「舟の舳先みたい」発言がずっと引っ掛かっていて、最近、もしかしてこれは宮本百合子*3じゃないか(森まゆみ『明治怪女伝』で知った)と思った/思うことにして昼間、列に並びながら「で?」となって赤面した。そういうことじゃなくて、ならシェイクスピア作品は聖書か?ヒッタイト神話か?違うだろ違うだろ~、かといって『ロミオとジュリエット』における過剰なワードプレイにサイファーやバトルの起源を求めたり、『夏の世の夢』の職人劇にコール&レスポンスの重要性を見出したりはしない。が、ある特定の部分にインディーロック&パンク・ハードコア的な楽し気なDIY精神のようなもの*4を感じ取ることができるのだった。そういえば、マイナースレットのサラダデイズは『アントニークレオパトラ』由来(という言い方は語弊があるが)*5らしいし、Exit Music(for a Film)の収録されているレディオヘッド『OK コンピューター』はほぼディスチャージの世界だ。トム・ヨークの崇拝するチョムスキー言語学的解釈に照らせば神話なんて全部一緒なんだから古代ギリシャ共和政ローマは当然のこと、メソポタミアナイル川流域の出来事も然り。……それゆえ…あらゆる歴史は自身をハードコアとして記述されることを免れない!!!(馬鹿か?)

 太田靖久『ののの』の話に戻る。レシートの日付は4月下旬。三日前、同じ店で買ったあとがきにフラナリー・オコナーの出てくる本を読み終えた。どちらもクスっと来る瞬間が多々あって、それでいて最終的にかなりシリアスに感動した。挑戦して良かった。

*1:青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』について 「最近の作家の小説をほとんど読んでいなかったのだけど、このひとの書くものだけはその影響が自分の作品にも隠せなくなっている」 ECD『何にもしないで生きていらんねぇ』本の雑誌社 2011年 p.201

*2:浅草並木藪の鴨ヌキと菊正宗 山口瞳『行きつけの店』新潮文庫 p.36

*3:「幸福というものが、案外にも活気横溢したもので、たとえて見れば船の舳が濤をしのいで前進してゆく、そのときの困難ではあるが快さに似たものだ」(青空文庫より引用)

www.aozora.gr.jp

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*4:yoyo a go goやfiesta grandeを念頭に置いて言っているのかもしれない。クラスの実践やヨーロッパのスクワット文化まで含めたい気もする。いや、世界中の…

*5:Salad days - Wikipedia イアン・マッカイがシェイクスピア好きかどうかは不明

詫び状を詫びる

 うす塩味の袋菓子を一人で空にして、中に割り箸を詰めて床に捨てた。これでやっとネットに集中できる。お茶を淹れるため台所に出ると、何やら粉末の重さを量っているようだった。「明日の?」「んー上手くいけば」横でお湯が沸くのを待っていると、気に障ったのか、作業を中断して屑を拾い始めた。自分も気づいて部屋へ戻り「これもお願い」と、袋をボキィっ‼と折って絞り上げ、ゴミ袋の結び目にねじ込んだ。

 「延長されたら、どうします?」何事かと思えば植え込みの件で、そうだそうだ連絡しとかないと。「CSR、去年はかなりお冠だったようで」「なんか春の味覚がどうとか言ってたな」「お店でどうぞって感じですかね」「此処らでは滅多にお目にかかれないらしいよ」実際、あれは掘り出してからが大変なんだ、洗うのが面倒で。生で食うなら尚更だ。

 冷やし中華の具材を揃えながら、母親との通話に聞き耳を立てた。互いに入り組んだ相槌を打って、同じ話題が行ったり来たりしている。最後にはため息が漏れていた。翌日、何も持って来ぬようあれほど注意したにも関わらず、自家製リキュールと大量の山菜、埃っぽい箱に入った謎の焼き物を持参して来よった。こちらとしても準備は万端で、自分は何もしていないが、色鮮やかな西洋料理が食卓に並んだ。一通り済んでから、父親が「きゅうりねぇか」と聞いてくる。洗って渡すと「脂っこいもんの後にはこれが効く」と言って、丸ごと齧りだした。母親はその横で「あら、なんでしょ」と可笑しそうにしている。 

 マスクを着けて二人を見送る。運転席に座ろうとして「あ、ちょっと」、声を掛けられたノーマスクの母親が「アタシ飲んだんだ」と頓狂な声を出す。父親は訛りに遠慮が無くなったように思う。(母親のために)用意した舶来物の酒は「出先で貰った」と説明していたが、本当は買った。片付けを頑張れば払拭できるだろうか、足早に歩く背中を追いかける。