教えてバルサザー

 『ODD ZINE Vol.5』を読んだ。惰性で入った店に長居してしまい、謝るようにして購入したものだ。キリの良い値段が決め手となった。青木淳悟の「最近は私小説に興味津々」の一節にECD*1の事を思い出し、考えた。写真も良かった。バックナンバーを確認すると、レスザンのアーティストを発見して、自分は間違ってなかった、安堵した後『ののの』も読もうと決意する。三月下旬の話です。

 山口瞳が「汁物で飲む酒、体に最高」みたいなことを言っていたような気がして*2、まずはホッピーを飲みながら悩んで(油そばが売りの店なので)、タンメンに決めたのだが注文の声が届かなくて、すると斜向かいに座っていたそれこそ『ののの』の「かぜまち」赤石イサオみたいな赤ら顔が「マスター、マスター!」と大声でワンオペ店主を呼び寄せる。流れで会話が始まって、挨拶がてらに生まれを語るとすぐに郷里の横丁の俗称を出してきた。よくご存じで、適当に相槌を打っていたら、帰郷の際はどこそこの店で私の名前を伝えれば云々、と誇らしげにスナック名と自分の氏名を手帳に書いて千切って渡してくる。店主の態度と本人の大胆な言動を見るに、こいつは土地持ちだな、と直感し少し鎌をかけてみた。帰りにポストでもぶち壊してやろうと思って。ところが最後の最後で話をはぐらかすのが上手い爺だった。ぐいぐい近づいてくる割に、ワクチンを打ったかどうかすら答えようとしない。

 『メタモルフォーゼの縁側』最終巻の「舟の舳先みたい」発言がずっと引っ掛かっていて、最近、もしかしてこれは宮本百合子*3じゃないか(森まゆみ『明治怪女伝』で知った)と思った/思うことにして昼間、列に並びながら「で?」となって赤面した。そういうことじゃなくて、ならシェイクスピア作品は聖書か?ヒッタイト神話か?違うだろ違うだろ~、かといって『ロミオとジュリエット』における過剰なワードプレイにサイファーやバトルの起源を求めたり、『夏の世の夢』の職人劇にコール&レスポンスの重要性を見出したりはしない。が、ある特定の部分にインディーロック&パンク・ハードコア的な楽し気なDIY精神のようなもの*4を感じ取ることができるのだった。そういえば、マイナースレットのサラダデイズは『アントニークレオパトラ』由来(という言い方は語弊があるが)*5らしいし、Exit Music(for a Film)の収録されているレディオヘッド『OK コンピューター』はほぼディスチャージの世界だ。トム・ヨークの崇拝するチョムスキー言語学的解釈に照らせば神話なんて全部一緒なんだから古代ギリシャ共和政ローマは当然のこと、メソポタミアナイル川流域の出来事も然り。……それゆえ…あらゆる歴史は自身をハードコアとして記述されることを免れない!!!(馬鹿か?)

 太田靖久『ののの』の話に戻る。レシートの日付は4月下旬。三日前、同じ店で買ったあとがきにフラナリー・オコナーの出てくる本を読み終えた。どちらもクスっと来る瞬間が多々あって、それでいて最終的にかなりシリアスに感動した。挑戦して良かった。

*1:青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』について 「最近の作家の小説をほとんど読んでいなかったのだけど、このひとの書くものだけはその影響が自分の作品にも隠せなくなっている」 ECD『何にもしないで生きていらんねぇ』本の雑誌社 2011年 p.201

*2:浅草並木藪の鴨ヌキと菊正宗 山口瞳『行きつけの店』新潮文庫 p.36

*3:「幸福というものが、案外にも活気横溢したもので、たとえて見れば船の舳が濤をしのいで前進してゆく、そのときの困難ではあるが快さに似たものだ」(青空文庫より引用)

www.aozora.gr.jp

newstyle.link

*4:yoyo a go goやfiesta grandeを念頭に置いて言っているのかもしれない。クラスの実践やヨーロッパのスクワット文化まで含めたい気もする。いや、世界中の…

*5:Salad days - Wikipedia イアン・マッカイがシェイクスピア好きかどうかは不明