引率、と云っても一人きりなので、要は只の付き添いで赤い電車に乗っている。中々の縁故採用で、少々変わった人物と聞かされてはいたけれど、まさか座った途端に本を開くとは思わなかった。数秒待って、例えば自分の将来を案じるなどしてから、好奇心を抑えることができなかった。「**です。映画の方の」「あぁ、**重彦な」予習しておいて良かったよ、自分を褒め称え、胸を撫で下ろす。海が近くなる。
89年6月、ニルヴァーナはバンド初となる全米ツアー*1を開始する。『ブリーチ』発表直後、ジェイソン・エヴァーマン*2在籍、男4人の珍道中、宿泊は地元ミュージシャンの他にレコード会社の人間が面倒を見ることもあったという。「ボストンのジョイス・リネハンやニューヨークのジャネット・ビリグなどがそうだ」*3そうで、ジャネット・ビリグ*4は後にホールやニルヴァーナのマネジメントを担当する他、カート・コバーンの薬物治療に参加したり、娘の後見人として4位指名されたりなんかする*5。リプレイスメンツの熱心なファンに始まったその後のキャリア形成*6も興味深い。片やジョイス・リネハン*7で検索すると、元ボストン市長、現アメリカ合衆国労働長官マーティ・ウォルシュ*8に辿り着く。ちなみに国務長官のアントニー・ブリンケン氏はギター演奏*9が趣味とのこと。
横を窺えば、画面に向かって小首を傾げ、曳かれるようにして歩いている。日が傾くにつれ、ますます遣る瀬無い思いが強くなった。磯の香りも慣れてしまえば長閑な街並みが返って鼻につく。ようやく顔を上げたかと思えば、遠くを見つめ、やけに締まった御尊顔。なんだそれは。とはいえ、なんだかんだと気を使っていただいて、自分は情けなくも溜飲を下げるのだった。横町の立て看板が目に入る。
ベト・オルーク*10については、ATDIをよく知らない自分にはpunk/hardcoreの影響がなぜそんなにも取り沙汰されるのか理解できなかった。その後、インタビュー記事*11と、セドリックと組んでいたバンドFoss*12、ATDI『Acrobatic Tenement』を聴いて無知な自分を恥じた。でも、96年なら無くはないかな、偉そうに品評したところで初音源『hell paso』EPは94年と知り大変焦った。聴きたい欲しい。同じエルパソ出身のリズムピッグスも探したい。その日なら帰りに寄れる、それが慰めとなっていた。
生ビールばかりぱかぱか飲むのでホッピーを勧めると、初めてです、物珍しそうに一口啜った。が、中のお替りをしないでまた生中に戻る。よく食べるし、饒舌だ。既に直属の上司・先輩への不満続出には閉口したが。話題を変えて、専攻内容を聞いてみると歯切れが悪かった。「カミュの番組見たよ。石橋凌みたいでかっこ良かったね」「最後に登場した樹が余計でしたけど」で笑った。レコ屋には行けなかった。
週明け、その先輩が半笑いで近寄って来て「メガネ見ました?」帰りに無くして新調したらしい。悪戯っぽい言い方も、実は管理責任を問われているようで、また事実そうかもしれない、と蒼くなった。そういえば、吊革にだらしなく掴まってトリュフォーがなんたらデリダがほにゃららと、よくもまあ恥ずかしい気を使わせてすみませんって感じだ。そうか、反応が薄かったのは見透かされていたんだ、赤面して、その時やっとついでみたいに相手の気持ちを慮る。
*1:
*2:
www.youtube.com Last show with Jason Everman. プロングを着て闖入者を追い払う姿が確認できる
*3:エヴェレット・トゥルー『ニルヴァーナ:ザ・トゥルー・ストーリー』シンコー・ミュージック p.157
*4:
*5:『ザ・トゥルー・ストーリー』p.558, 602
*6:
*7:
*8:
www.boston.com モダン・ラヴァーズ『ロードランナー』を州の公式ロックソングに推した過去がある。ジョイス・リネハンが関係している。ジョナサン・リッチマン曰く:"I don't think the song is good enough to be a Massachusetts song of any kind."(マーティ・ウォルシュのウィキペディアより)
*9:
www.nme.com シカゴ・ブルース/ブルース・ロックの人なのでしょうか
*10:
*11:
rockinon.com the leaving trains『kill tunes』は傑作らしい
*12:
www.youtube.com ebullitionやgravityに通じるものがあると言ったら失礼か